乙女散策道中

乙女は、季節外れの浴衣を身にまとい、日傘片手に歩いていた。

浴衣には白地に蒼い花があしらわれていて、彼女の黒い髪がよく映えている。

日傘を持つ手には陽が差し込み、透き通る様な肌が輝いている。

 

季節は春。

人は出会いと別れと酒に酔い、うららかな風と陽気な笑い声が往来する、そんな季節を彼女は生きていた。

 

その日は風があった。

まどろむ様な暖かい風。

風はどこからか花を吹き流し、彼女の日傘に紋様を描いた。

無邪気に揺れる日傘は、その紋様を自在に変え、この街の風景を彩った。

 

 

 

彼女が身を乗り出しながら見ているのは、喫茶店のショーウィンドウに並べられた食品サンプルだ。

笑ってしまうくらいに渾身の力で見ている。

たまに前に見たサンプルと見比べ頬に手を当てたり、「こりゃすごい」といった表情をする。

大げさだろうが、彼女はその命いっぱいを今この瞬間に込めて、食品サンプルを見ている、そんな風に見える。 

彼女はしばらくにらめっこをした後、一切の思い残しなし、といった感じで軽やかにその場をあとにしていった。  

 

 

ここは日本で一番古い町。 

彼女の周りには、多くの人々が行き来する。

 

近くの小学校で卒業式があったのだろう、よそ行きの格好をした母親と子ども達のグループがちらほら見える。

子ども達は、初めて味わう別れの虚無感とこれから始まる生活への期待感が入り混じり、落ち着かない様子でいる。

母親達はと言うと、子どもの人生の区切りに立ち会えた喜びに頬が緩んでいる。

今頃、父親達も同じ気持ちで仕事場に向かっている事だろう。

 

彼女は、心の中で子ども達にエールを送った。

 

ここは日本で一番観光客が多い街でもある。

バックを背負った外国人や卒業旅行に来ている学生、カップルの姿もある。

皆、その目に映るものに心揺れ、朗らかな表情をしている。

 

彼女は少し誇らしげな表情をした。

 

花見をしているおじさんグループも見える。

うちのカミさんが~、あそこの酒は~、あの女は俺の事好きなんだよ~

と端から聞くと何でもない事を馬鹿笑いをしながら話している。

何となくだけど、おじさん達は長い付き合いなんじゃないかな。

お互いに佇まいを許し合っているというか、雰囲気が溶け合っている。

多分、久しぶりに会えたんじゃないかな。

 

楽しそうに話すおじさん達に彼女は混ざりたがっている様子だった。

 

 

 

 

 

小路には情緒溢れるお茶屋の家並みが連なっている。

彼女は、入り口で仁王立ちをすると、うん!と頷き小路に入っていった。 

 

小路では、おじさんは酒に酔い、カップルは手をつなぎ街並みを眺め、舞妓さんは早歩きでお店に向かい、青年はカメラを手に取り首を振って写真スポットを探し、子どもは母親の手を握りながらソフトクリームを食べ・・・皆、各々の春を満喫している。

 

彼女はそんな春を歩いていった。

 

今日は、風が強い。

木々がさざめく音がした。

どこから吹かれたか、風は小路に花を降らし始めた。

徐々に花はゆっくりとその濃度を上げ、世界を桃色に包んでいく。

始めは何人かが、そして段々と、遂にはその場にいる全員が変化に気づいた。

花の洪水に、世界は春色に染まった。 

 

観光に来た青年は両手を上げ、この場に居合わせられた奇跡を表現し、

舞妓さんは踊り、この瞬間を祝福し、

ランチに来ていたOLは、歌い、風景に花を添え、

酒に酔ったおじさん達は叫び、喜びを溢れさせ、

修学旅行生は、上着を振り回し、興奮し、

カップルは手を握り、この情景を目に焼き付け、

そして全員、魅了された。

 

 

乱れ舞う花、浮かれる人々、うららかな風、柔らかな陽差し、そんな景色の中、彼女は歩みを止めた。

桃色の空を見上げ、一瞬見とれた様子だった。

蒼と桃の花があしらわれた浴衣に、彼女の黒い髪がよく映えている。

 

彼女は少ししゃがんだ。

すると勢いよく、日傘を空へと投げた。

日傘は花の中で、陽光を浴び金色に輝いた。

 

彼女は、はらはらとゆっくり落ちてゆく日傘を見やると、

後ろに手を組みながら、命いっぱいの笑顔でこちらを振り返った。

桃色で溢れた世界は、一気に弾けた。 

 

ここは日本で一番古い町。

季節は春。

彼女は一瞬の燦めきを生きていた。